イギリスでの助産に関するコラムです


by babyinuk
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14時22分
産科病棟で一人の生命が誕生した。
予定よりも一週間早く生まれたものの、正常分娩による出産でアプガー1分、5分で6,9とほぼ問題なかった。
体重2525g、かわいい女の子だった。
外見上何も問題なく見られ、両親共に喜んでいたのだが。

 翌日の18時
お母さんのナースコールによって助産婦が病室へと駆けつけたのは出産後16時間が経過した時だった。
指を強ばらせ、全身で震えているような動作をしている。
Generalized Seizure(全身性の発作)とFocal Convilsions(痙攣)が見られた。
急遽Drが呼ばれ、痙攣発作であることを確認した彼はPhenobarbital(抗てんかん薬)を投与した。

母親は顔をこわばらせながらその様子を見守っていた。
Drは母親に今起きたことの説明を行なった上で、血液のサンプルを採った。
血液をEmargencyでヘマトロジーに送った。
助産師は赤ちゃんを今いる一般病棟からNICU(新生児集中治療室)に移る準備に追われた。

 二時間後
データーによると、マグネシウムが相対的に低い。BMSは正常値だった。

 てんかん発作が起きてから23時間後
注射した右足から血液混じりの滲出液が確認された。
それは老人の床ずれに見られる浸出液を連想させるものだった。

『 (どうして赤ちゃんから・・) 』
お母さんは今にも泣きそうな表情を浮かべていた。
FBCと凝固がチェックされた。
Thrombocyte(血小板)は221、APTTとPTは適度の範囲を超えて遅延していた。
つまりHemorrhagic Disease(出血性疾患)が疑われ、その対処としてFFP15mgと同様にビタミンKを投与した。

 数分後
ACT headを施行した結果、二箇所のIntracerebral(大脳の)出血が明らかだった。Ventricle(脳髄)への空洞に結合していなかった。
血液凝固因子分析がやってきた。それによると次のような結果だった。
Factor  Ⅹ    2%
Factor ⅠⅩ  98%
Factor  Ⅴ  135%
Factor Ⅱ    70%
明らかにFactor Ⅹ のパーセンテージが低い。
FactorX因子欠損の診断が妥当とされ、Bilateral intracerebral hemorrhage(bleeding)両側大脳出血も同時に診断された。

外見上は正常であっても、こうして赤ちゃんは何らかの疾患を小さな体の中に抱えて生まれ、結果的にNICUに運ばれてくるケースが多い。

何の問題もなく健康に産まれることが、当たり前の出来事でないと改めて思い知らされる。
この赤ちゃんも両親と共にすぐに家に帰ることができず、しばらくの間NICUで治療を続けることになった。


赤ちゃんはたくさんの管が四肢に取り付けられたまま、今日も静かに眠っている。
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# by babyinuk | 2004-08-29 11:33 | 助産
 14時22分
産科病棟で一人の生命が誕生した。
予定よりも一週間早く生まれたものの、正常分娩による出産でアプガー1分、5分で6,9とほぼ問題なかった。
体重2525g、かわいい女の子だった。
外見上何も問題なく見られ、両親共に喜んでいたのだが。

 翌日の18時
お母さんのナースコールによって助産婦が病室へと駆けつけたのは出産後16時間が経過した時だった。
指を強ばらせ、全身で震えているような動作をしている。
Generalized Seizure(全身性の発作)とFocal Convilsions(痙攣)が見られた。
急遽Drが呼ばれ、痙攣発作であることを確認した彼はPhenobarbital(抗てんかん薬)を投与した。

母親は顔をこわばらせながらその様子を見守っていた。
Drは母親に今起きたことの説明を行なった上で、血液のサンプルを採った。
血液をEmargencyでヘマトロジーに送った。
助産師は赤ちゃんを今いる一般病棟からNICU(新生児集中治療室)に移る準備に追われた。

 二時間後
データーによると、マグネシウムが相対的に低い。BMSは正常値だった。

 てんかん発作が起きてから23時間後
注射した右足から血液混じりの滲出液が確認された。
それは老人の床ずれに見られる浸出液を連想させるものだった。

『 (どうして赤ちゃんから・・) 』
お母さんは今にも泣きそうな表情を浮かべていた。
FBCと凝固がチェックされた。
Thrombocyte(血小板)は221、APTTとPTは適度の範囲を超えて遅延していた。
つまりHemorrhagic Disease(出血性疾患)が疑われ、その対処としてFFP15mgと同様にビタミンKを投与した。

 数分後
ACT headを施行した結果、二箇所のIntracerebral(大脳の)出血が明らかだった。Ventricle(脳髄)への空洞に結合していなかった。
血液凝固因子分析がやってきた。それによると次のような結果だった。
Factor  Ⅹ    2%
Factor ⅠⅩ  98%
Factor  Ⅴ  135%
Factor Ⅱ    70%
明らかにFactor Ⅹ のパーセンテージが低い。
FactorX因子欠損の診断が妥当とされ、Bilateral intracerebral hemorrhage(bleeding)両側大脳出血も同時に診断された。

外見上は正常であっても、こうして赤ちゃんは何らかの疾患を小さな体の中に抱えて生まれ、結果的にNICUに運ばれてくるケースが多い。

何の問題もなく健康に産まれることが、当たり前の出来事でないと改めて思い知らされる。
この赤ちゃんも両親と共にすぐに家に帰ることができず、しばらくの間NICUで治療を続けることになった。
a0011729_112128.jpg

赤ちゃんはたくさんの管が四肢に取り付けられたまま、今日も静かに眠っている。
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# by babyinuk | 2004-07-06 11:06 | 子育て
a0011729_164524.jpg面白い研究がある。
病院で母親が分娩後四日間のうちに、子どもをどのように抱くか、そして利き腕との関連性について調査した研究について。
これを読んで下さっている皆さんはどういう結果になったと想像しますか?

①右利きの人は右手で、左利きは左手で子どもを抱いていた。
②右利きの人は左手で、左利きの人は右手で子どもを抱いていた。
③右利き、左利き関係なく、左手で子ども抱いていた。
④右利き、左利き関係なく、右手で子どもを抱いていた。

自分が子どもを産んで抱いた時を思い出してみてください。まだの人はなんとなく。
答えは、この文の最後に。

上のような研究結果を知っていると分娩後のお母さんの行動を見ていると楽しい。
しかしこれとは別に、日本で保健士として保育園で実習しているときに、
不思議な光景に出くわしたのを覚えている。
それは抱っこをすると嫌がる赤ちゃんが多いということだった。
それはなぜか?
そこでまた問題です。今度は三択です。なぜだと思いますか?

①その時私の体臭が臭くて、赤ちゃんが不快で悶絶していたから。
②赤ちゃんが抱かれ慣れていないから。
③赤ちゃんが抱かれる姿がダサいと思い、放っておいて欲しかったから。

このことは実はだいぶ前に新聞でも取上げられていた。保育園や育児所で0歳児を抱っこすると、赤ちゃんが抱っこを嫌がったり、泣き始めたりするというのだ。
答えは勿論2番。赤ちゃんが抱かれ慣れていないから。それは、最近のお母さんは腕だけで赤ちゃんを抱こうとするからだそうだ。
つまり、ぴったりと肌を密着させて胸に寄りかかるぐらいで抱けば、赤ちゃんも安心するが、腕だけで抱こうとすると、赤ちゃんにとって心地良くなく不安になると言う。

親にとっても、姿勢が不安定になり腕が疲れるので結局抱かなくなってしまい、ベビーカーに乗せてしまう。母親がうまく抱けないから、赤ちゃんは抱っこ=不快のイメージが抱かれ、嫌がってしまうのだそうだ。こうした背景には、お婆ちゃんなどが近くにいないために、赤ん坊との距離の置き方や接し方が分からなかったり、母親自身が十分なスキンシップを受けずに育ってきたことが原因だとされている。

母親からしっかり抱きしめられる経験は、他のどんなすばらしい音楽を聴かすよりも、安心感をもたらす。愛情を十分に与えられてると赤ちゃんは感じ、いつまでもその温もりを忘れないという。

ではどういう抱き方が一番ベストか。
たて抱き、横抱きどちらも赤ちゃんの反応に応じて変えると良い。たて抱きの場合は、泣いていた赤ちゃんが泣き止みやすくなる。目もしっかりと開け、母親の顔をじーっと見つめたりする。横抱きの場合は赤ん坊を眠らせる効果がある。

身体軸が縦になっている状態が、精神の活性化には良い。
これは寝たきりの老人を短時間でもベットを起こしてあげると、目の輝きや精神活動も活発化するといわれる所以だ。
子どもの反応をしっかりと見て敏感に感じ取れば、今立て抱きのほうが良いか、横抱きのほうが良いかわかるようになるのだろう。実際、そう簡単にはいかないんですけどね。

さて、最初の問題
病院で母親が分娩後四日間のうちに、子どもをどのように抱くか、そして利き腕との関連性について調査した研究について。

①右利きの人は右手で、左利きは左手で子どもを抱いていた。
②右利きの人は左手で、左利きの人は右手で子どもを抱いていた。
③右利き、左利き関係なく、左手で子ども抱いていた。
④右利き、左利き関係なく、右手で子どもを抱いていた。

答えは、三番です。約7割以上のお母さんが右利き、左利きに関係なく、左側に赤ちゃんを抱いたそうです。その傾向はサルも同じ。母サルは大体左手で子ども抱いているとか。

研究者が述べるには、母親は子どもが子宮の中にいたときに常に聞いていた音、すなわち自分の心臓の鼓動音を子どもに聞かせることによって、子どもを安心させる事ができる、と本能的にしているのではないかと言っている。
これは0歳に限らす、生後一歳の乳児のおいても、母子分離を促進させるのにも役立つそうだ。皮膚の持つ境界感覚を刺激することで、徐々に母子分離の間隔が芽生えていくのだと。

いずれにせよ、その時重要なのは、赤ちゃんの目を見て、母親の匂いを嗅がせ、背中を撫ぜたり頭を撫ぜたり、五感をフルにつかって触れ合うことが一番大事ということらしい。
子育てって奥が深いですね。
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# by babyinuk | 2004-05-12 08:20 | 子育て
けなされて育つと子供は、人をけなすようになる。
とげとげした家庭で育つ子供は、乱暴になる。
不安な気持ちで育てると、子供も不安になる。
『 かわいそうな子だ 』
と言って育てると、子供は惨めな気持ちになる。

子供を馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる。
親が他人を嫉んでばかりいると、子供も人を嫉むようになる。
叱り付けてばかりいると、子供は
『 自分は悪い子なんだ 』と思ってしまう。

励ましてあげれば、子供は自信を持つようになる。
広い心で接すれば、キレる子供にはならない。
誉めてあげれば、子供は明るい子に育つ。
愛してあげれば、子供は人を愛することを学ぶ。
認めてあげれば、子供は自分が好きになる。
見つめてあげれば、子供は頑張り屋さんになる。

分かち合うことを教えれば、子供は思いやりを学ぶ。
親が正直であれば、子供は正直であることの大切さを知る。
子供に公平であれば、子供は正義感のある子に育つ。
やさしく、思いやりをもって育てれば、子供は優しい子に育つ。
守ってあげれば、子供は強い子に育つ。

わきあい合いとした家庭で育てば、
子供はこの世の中はいいところだと思えてくるようになる。

戦争が無い国だから、子供にとってはいい所だとは限らない。もちろん外的な侵害がないという意味ではいい所だ。それより戦争があっても、食料が無くても、両親の一杯の愛情が注がれている家庭は、子供にとってはそこは楽園になるだろう。

テレビを見ていると、戦争をしているのに子供の目が輝いて、はしゃぎ回っている姿を目にする。そんな子供たちは一杯両親からの愛情が注がれている子供じゃないかと思えてくる。

全ての子供が”この世の中がいい所”だと思えるようになれば良いのにな。
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# by babyinuk | 2004-04-28 20:37 | 子育て

ミス

朝7時からの申し送りを終え、引継ぎで今日受け持つことになったのは、33歳の初産婦さんだった。病院での滞在も二日が過ぎようとし、お母さんだけでなく、付き添っていたお父さんも疲労困憊という様子だった。CTGモニターに目をやると胎児心音は基本ラインが125bpm程度、陣痛は強くなく10分間に一回ぐらいだった。

陣痛を促進させるためのシントシン(陣痛促進剤)の点滴と痛みを和らげるための硬膜外麻酔のラインが目に入った。
陣痛促進剤を投与しているにもかかわらず陣痛がいっこうに強くならないので、二コールは点滴容量を60mlから75ml、そして一時間後には90mlまであげていった。
『(たしか60mlが限度だと聞いていたのだが・・)』

-8時40分-

90ml/hの投与が効いてきたのか陣痛もだんだんと強くなり、陣痛間隔も10分のうち3,4回陣痛が起こるようになってきた。胎児心音は120bpmと平常で、お母さんは疲れていたが、ようやく生まれるということで顔にも時々笑みがこぼれていた。

-8時50分-

二コールがどのくらい開大しているかチェックしてみると、すでに子宮口は全開大にまで達していた。確認のためシニア助産師であるエマを呼び、チェックしてもらうと全開大であると判断し、お母さんに力む動作に入ってもらうことにした。
この動作はまるで、今までレース用に温めてきたエンジンを、ついにアクセル全開でコーススタートするようだ。

-8時55分-

大きく開脚してもらい、両手で自分のふとももを抱え、陣痛と同じ時に力んでもらうよう声かけを始めた。
『もっと力んで!そう、いいわよ~その調子で続けて力んでみて!』
『そう、深く息を吸って、お腹に力を入れて!』
いろんな励ましの言葉が病室に交錯する。私もみんなの言葉の受け売りで、
『Excellent, you have done very well』
などと励ました。何度もお産を経験していくにつれて、励ましの言葉もスムーズに口に出るようになってきた。

-9時22分-

ようやく赤ちゃんの髪の毛が外側から見えるまでになってきたが、膣周りの進展が余りよくないのは明らかだった。この前の会陰裂傷がよみがえった。
二コールとエマは協議し、会陰切開をしてもいいかどうかお母さんに尋ねた。
そうすると、お母さんは「OK」と小さく首を縦に動かし了承した。

力み続けているせいか、頬が赤く額には汗がきらきらと光っているのが見えた。
それを見て、自分の額からもたくさんの汗が流れているのに気づいた。
汗をぬぐい、二コールを見ると彼女も同様に額に汗ばんでいた。
会陰を照らすライトと病室の温度のせいで、毎回蒸し暑さを感じる。

エマは次の陣痛のときに切りましょうとお母さんに告げた。
会陰切開を見るのはこれで3回目だが、いつ見ても痛々しい。目を細めて見てしまう。
『ジョ・・・キ・・・ジョキ・・・・』
エマは二回指を動かし、進展した膣を7時の方向に4cmほど切開した。お母さんのほうを見ると麻酔のためか何も感じてないようでホッとした。

-9時24分-

ぱっくりと開いた会陰は赤ちゃんが通るには十分に見えた。二コールとのポジションを交代し、私がお母さんから見て右側に位置した。
産科医も部屋に入ってきた。胎便が羊水に混じっていたので、産まれた赤ちゃんの吸引をするためにエマが呼んでいたのだ。
『じゃ~力んで、そう、そう、上手上手、続けて~」
赤ちゃんの頭が徐々に出てきた。手に汗握る瞬間とは本当にこのことを言うのだと思う。そして・・・

「ツルン!」と赤ちゃんの頭がでてきた。右手で保護をしようとするが、エマは
『手は出さなくていいわ、放ってなさい、赤ちゃんが勝手に動いていくから』
隣にいた産科医はすばやく赤ちゃんの鼻の中にチューブを入れて吸引をした。ゆっくりと赤ちゃんが自分で右に回旋していくのを見ると、本当に神秘的だ。そうしてもう一度両手で赤ちゃんの頭を掴み、ゆっくりと肩から出す介助をした。肩が出るともう後は楽に全身まででてくる。

『Congratulation!』

赤ちゃんをお母さんのお腹に乗せた。しばらくしてから、赤ちゃんの鳴き声が部屋中にこだました。子供の性別は生まれるまでのお楽しみだったので、小さなものが付いているのを確認すると
「あ~ははっ息子ね~」
と笑顔でお父さんに話しかけた。微笑ましい瞬間に入れるのは何よりも嬉しい。
そう、ここまではハッピーな時間を過ごしていたのだが・・

::::::::::::::::::::::::::::::::

-一時間後-

幸せな雰囲気に酔いしれた後、会陰の縫合なども終え、体を拭き、お母さんにお昼のサンドイッチを届けて病室を退室した時、手術部から若いDrがナースステーションのほうに走ってきた。
『救急です。人が足りない!すぐ誰か来て』
緊張が一気に走った。病院で走る人などほとんどこの国では見ることが少ないからだ。ワードマネジャーのシャロンと二人の助産師が駆けていった。

『(なにが起こったんだろう・・・・)』
ナースステーションにいたスタッフみな、不安そうな面持ちで様子を見守った。

-15分後-

一人のDrが駆け寄ってきて、ナースステーションで電話をかけ始めた。いつも凛々しいDrが動揺しているのは、電話をかける指が震えているのから想像できた。
目には涙がうっすらと浮かんでいる。

廊下からもう一人体格の良いスタッフの一人が歩いてきたが、手で顔を覆い、今にも泣き崩れそうな状態だった。スタッフが歩み寄り、言葉を掛けるとお互い抱き合った。

まだナースステーションにいるスタッフの誰もが何が起きたかを把握できてなかった。
手術部のほうに歩み寄ると、リカバリールームでこの前会陰裂傷の縫合をしてくれた女性産科医が片方の手で頭を抱えて泣いているのが目に入った。

『(なにがおきたんだろう??)』
ようやくシャロンが戻ってきて、スタッフにこう話し始めた。


「baby dead」
シャロンはそう告げた。みんなの動きもそれと同時に止まった。あまりに小さい声と専門用語の難しさから全てを理解するのは不可能だった。隣にいたニコールに後で聞くと、お母さんは35週目の初産婦だったそうだ。

頸膣分娩で産む努力をしていたが、なかなか力んでも赤ちゃんが降りてこないためにドクターは鉗子分娩に切り替え、オペ室に移すように指示したそうだ。吸引分娩は病室でも可能だが、鉗子分娩の場合はオペ室で行うことになっている。

だがドクターのミスか、それとも他の原因があったのかはまだ定かではないが、赤ちゃんの首にへその緒が二重に巻かれたまま鉗子で引っ張ってしまい、娩出した時点で、赤ちゃんの心臓は停止していたそうだ。

若いドクターがナースステーションに駆け寄ってきたのはその時だった。その後、必死の救急救命にも関わらず、赤ちゃんは一度もお母さんを見ることなく亡くなってしまった。

赤ちゃんがオペ室で鉗子分娩をする10分前までは、胎児心音も良好だったので、助産師を含めドクターもお母さんに赤ちゃんは元気と励ましてしたに違いない。その直後の出来事だった。もし帝王切開をしていれば、確実に赤ちゃんは生存していただろうと考えると、いっそう心が痛む。

鉗子分娩は部分麻酔なので全て手術室の会話も聞こえる。お母さんがその時の救急救命措置や亡くなってしまった時の会話も聞いていたと思うと、想像するのも辛い。

その場にいたスタッフの誰もが予期せぬ死に驚きと深い悲しみにあふれていた。取り上げたドクターはもちろん、第二介助のドクター、救急救命をした産科医、麻酔医師、
励まし続けた助産師、茫然と立ち尽くす人もいれば、泣き崩れている人もいた。

この職種を選んでいる人の多くは”人の役に立ちたい””傷ついているのを治してあげたい”という気持ちからこの仕事を選んでいると思う。

特に産科は他の病棟と違って、本当に赤ちゃんが好きであったり、出産の喜びを一緒に共有できる楽しさからこの職場を選んでいる人もいる。それが、自分のした行為が全く意図しない結果になった場合、何のためにこの仕事を選び、仕事してきたのか・・
無力感と共に脱力感・虚無感に駆られるに違いない。

ナースステーションのスタッフ一同、ただただ信じられないといった表情だった。一人のスタッフは「ここ何年そんなことは起こったことはなかったわ」と言っていた。お母さんが手術室から自分の部屋に戻っていく時、顔を手で塞ぎながら嗚咽している姿が目に入ると、思わず顔を下に向けてしまい、まともに見れなかった。

10分前まで元気に拍動して生きていた赤ん坊が、亡くなってしまったのは、悔やんでも悔やみ切れないに違いない。もし私がその医者だった場合、お母さんに殺人者と言われても、返す言葉がないだろう。

産科で働いていると、誕生の喜びだけでなく、場合によっては死産もあったり、お腹から取り出しても一概に手放して喜べない状態にあったり。常に喜べれる現場ではないことは知っていた。実際、死産で産まれてきた赤ちゃんを見たこともあるが、それはお腹の中ですでになんらかの原因で亡くなってしまったために起こった場合がほとんどだ。だが今回のようなケースは・・・

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-2日後-

お母さんはご家族に支えられて家に帰られた。
その執刀医であったドクターが、裁判所に出頭する姿が夕方のニュースで流れていた。
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# by babyinuk | 2004-04-19 16:42 | 助産
Community Midwife(地域助産師)の実習が終わりました。
妊娠されてるお母さんの自宅を一軒一軒出産前、出産後と訪問していくのが地域助産師の仕事でした。外国人の生活習慣だけでなく、家族とのかかわりや暮らし方など、病院実習だけではわからないところまで垣間見れたように思えます。

貴族並みの裕福な家庭に生まれてくる赤ちゃんもいれば
ドメスティックバイオレンスのため粗雑に扱われる赤ちゃん
政府の援助が頼りで、その日暮しの生活環境で生きている赤ちゃん
23歳、20歳の子供がいるにもかかわらず、アクシデントで赤ちゃんができてしまった家庭
宗教にしたがって生まれてからすぐ頭の毛をそられて寒そうな赤ちゃん
犬や猫、イグアナや九官鳥、熱帯魚に囲まれて寝てる赤ちゃん

人種のるつぼであるイギリスであるので、その家庭環境、育て方も切磋万別。
でも重要なのはどんな環境下においても、十分な愛情が注がれているかどうかだと思います。裕福な家庭環境だから十分な愛情が注がれるとも言えず、貧乏で政府の援助なしでは生きていけない環境下でも十分に愛情たっぷりに注いでいたり。

たとえ今飢餓や紛争で苦しんでいる国であっても赤ちゃんにとって愛情の供給が十分なら、きっととその子は物質的には恵まれなくても、精神的に満たされて愛情深い人間として成長するのではないかと思います。

かえって日本のように、母親の代わりをしてくれる物が豊富な分、それらにまかせっきりになってしまい、実質的な家族との愛情の関わりの少なさから、精神的に満たされていない子供が多いような気がします。


地域実習の最終日には自宅出産介助を経験することができました。
それも自分自身の手で最初から最後まで介助を行え、言葉では表現しにくいぐらい感動をおぼえました。隣でアシスタントとして介助するのと、実際に自分自身の手で赤ちゃんを取ることとは明かに違うものなんだと知りました。

地域実習でのお産介助は自宅出産を経験することも目的であったので、
正常の自宅分娩、水中出産を経験できたことは自分にとって、とても貴重な経験になったと思います。
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# by babyinuk | 2004-04-06 22:08 | 助産
私が働いている病院は分娩ベット数が18室、オペ室2、水中分娩プール1もの収容施設があるにもかかわらず毎日満室で、スタッフの数も多いようで不足している。
病院実習での私の監督してくれることになったのはE-grade助産師のアナ。
彼女はオーストラリア訛りがあるものの、愛想良くやさしく説明してくれるのでとてもありがたい。

今日初日に受け持ったのは35歳の経産婦さんだった。
3歳の息子さんがいて、今回は頸膣分娩での分娩を希望された。
前は帝王切開だったので、分娩には特に配慮が必要だった。
アナがバースプランを見て、生徒が分娩介助に携わることに言及してないから、お母さんに聞いてそのまま介助してもOKなら、介助させてもらおうということになった。

出生前での面識はなかったので、もしかしたら分娩中に気が変わるかもしれないけど、それでもOKならいてもいいということで了解を得た。
ほっと胸をなでおろし、分娩監視装置をお腹に巻いたり、いろんな備品を整え、そうこうしているうちに二時間ぐらい経った。

監視装置を見ながらバースプランに目を通すと、アナがただ見落としただけでちゃんとバースプランには”最小限のスタッフでの分娩とNo student"と書いてあった。
『(アナッ・・・・・ちゃんと見てよ~)』
顔が引きつりそうになったのを堪え、気が変わらないようにと思いながら介助した。

夜の10時まで約10時間ほど経過した時点で子宮口は全開大になった。
この間、嘔吐を繰り返したり、ガス&エアーでの痛みの緩和だけでは、耐え切れず硬膜外麻酔で痛みを緩和。
あと子宮口が下に下がっているのと、膣から出血が見られる点でハイリスク出産となり、婦長だけでなくドクターなど含め何人も病室に診察しにきた。
そしてようやく、赤ちゃんの頭が見え、赤ちゃんが出てこようとする瞬間・・・


(その数分前・・・・)

子宮口が全開大になる前に、実は羊水に混じって出血が見られた。それに、胎便らしき粘液もみられたので出産時には吸引が必要だった。あともう二・三回の陣痛後には頭がでてきそうだったが、膣周りの進展があまりよくなかったので、会陰切開したほうがいいだろうと婦長や産科医と話していた。

私はお母さん側から言うと左側、上司のアナは右側で介助をしていたが、ポジションを交代してもらい、私が左側に変わり、赤ちゃんを取り上げる準備に取り掛かった。

責任感と重圧が一気にのしかかったきた。

手袋を滅菌製に変えたほうがいいというので、急遽今までしていた手袋を外し、棚にある滅菌製の手袋を装着しようとして、棚の中を見た。
『(どっ・・どれが・・・Lサイズ?)』
棚にはいろんなタイプの手袋があり、今日が初日の私にはどれがSサイズでLサイズかわからなかった。こんな時に上司に聞くのも恐れ多く、一番手前にある手袋を取って開けてみた。
『(えっ・・・S・・・・) 』

Sサイズであったが時間がないので、装着することにした。ついさっきまで手袋をしていたせいか、汗で濡れてなかなかスムーズに手が入らない。手が入っても、指先までなかなか通らない。モニターを見ると、また陣痛がやってきそうだった。時間がゆっくりと一秒・二秒と過ぎていった。焦る気持ちを抑えながらも、指先まで上手く指が通らず、
しかたなく指先まで通らないままの状態で戻った。

自分の右手を会陰部分の保護を目的で、その前に持ってくると、病室の照明が、指の通ってないぺらぺらな手袋を一段とハッキリ映し出した。ちょっと指を丸めてみても、やはりぺらぺらは隠れない。
『(こんなときに・・・)』
恥ずかしさを感じながらも、右手で会陰部分を押さえ、左手で赤ちゃんの頭を保護しようと手を向けた。

時刻は夜の11時30分近く。

昼の12時から勤務が始まったので、もう12時間近く立ったままの状態だった。気を抜くタイミングがまだわからなかったので、休憩もほとんどなくフラフラに近かった。お母さんも病院に来たのが昼の一時ぐらいだったので、10時間の産みの苦しみを終えてようやく生まれる時が来た。

そして、陣痛が強くなって来たので、力んでと言った瞬間、赤ちゃんの頭が一気に一度の力みで出てきてしまった。出てくる瞬間に会陰を右手で保護していたが、急に赤ちゃんが出てきたことによって、会陰が十分に進展しないまま出てしまい、結果的に会陰が避けてしまった。

右手にその避けた時の感覚が伝わった。

手の下を見ると、肛門辺りまで避けていた。しかし、先に赤ちゃんを取り上げるほうが先決。赤ちゃんを見ると、へその緒が首に巻きついているので、逆側に赤ちゃんを反転させることになった。肩を出すと、スルッとあかちゃんが出てきた。
『 Congratulation! 』
部屋にいたみんなが、お母さんとずっと手を握り締めていたお父さんに祝福の言葉を投げかけた。
『 あ~・・・ありがとう・・・あぁぁ~・・』
そう言うと、お母さんに満面の笑みがこぼれ、安心したように息を大きく吐いた。


取り上げて数秒すると、赤ちゃんは大きな声で鳴き始めた。
『 ・・・・・・・・・・・おぎゃ~おぎゃ~!!』
部屋一面に元気な赤ちゃんの声が鳴り響いた。この声は、本当にどんなものにも勝らないほど心地よい音楽のようだ。


そんな感動的な状態に浸ってれたのも数秒、お母さんの膣からはどくどくと出血しているのは、誰の目からも明らかだった。へその緒をクランプし、なかなか切れないへその緒を切った。と同時にまわりのスタッフも一斉に動き出した。

アナはオキシトシンを足に注射し、そして胎盤娩出の仕方を私に教えながら、私もその通り行った。5分後胎盤が多量の出血と共に娩出された。あたりに鉄臭い血液の匂いが充満した。側にいたシニア助産師が縫合の準備に取り掛かった。イギリスでは縫合も助産師の仕事だ。

両足を上に固定させ、会陰部分に光を照らすと、肛門の側までジグザグに避けているのがよく見えた。
『 (私の責任・・・・・)』
手に避けた感覚を感じた時からその不安があった。


硬膜外麻酔を行っていたので、そのまますぐに縫合に取り掛かった。シニア助産師はすばやかった。すぐに膣内から縫合に取り掛かり、5分もかからない内に膣内の縫合を終えた。しかし、思った以上に出血がひどかったために、Drが縫合することになった。
『(・・・・さむい・・・・)』
お母さんがそう言うと、先ほどのシニア助産師は銀色の体温を逃がさないセロハン紙のようなものを体に巻きつけ、酸素マスクを顔に付けた。(後で知ったことですが、出血のあるときに保温は厳禁です。)アナは右手にカニューレを通していた。血圧を測ると
『 90/60 』
Drが縫合に取り掛かるのを後ろで見ていると、血液がまるで蛇口の水が水滴のように流れるのでなくつーっと絶え間なく流れているのが見えた。

Drは立ち上がり、血液凝固剤の入った点滴パックをおもむろに手で握り締め、強制的に300ml静脈に流し込んだ。初めて見るすごい光景に唖然としてしまった。でも、それぐらいしないと出血量に間に合わない感じもした。
『ピピイッ・・・・・!ピピイ・・・・!』
血圧計が数値が低すぎて、測れないために音が鳴っている。もう一度測りなおすと血圧は上が80、下が55にまで下がっていた。お母さんの血色もだんだんと青白くなってきた。お父さんはお母さんの危険な状態がわからない様子で、椅子に座って笑顔で赤ちゃんをあやしていた。こういうときこそ、手お握って側についてないとだめなのに・・・

血圧はとうとう75、45にまで下がった。

会陰部分においていた縫合用のシーツは血で一杯に染まっていた。もう時間は12時半を過ぎようとしていた。産まれてから30分が経過していた。Drの指示により縫合をオペ室ですることになった。それに応じて介助も夜勤スタッフに任せることになった。
部屋を出る時、お母さんとお父さんが感謝の言葉をくれた。しかし、私の中ではもしかして自分の責任ではという思いもあって、素直には喜べなかった。それに、お母さんが危険な状態であるのに、そのまま放り出していくのも気が気でなかった。帰る足取りも重く、部屋に戻ると、疲れがどっと押し寄せてきた。

あまり深く眠ることはできなかった。

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二日後・・・・

仕事がなかったものの、気になって様子を見に病棟へと出かけた。病室に行くと、お母さんが赤ちゃんを抱いて立っていて、驚いた。
『ハっハロ~!大丈夫ですか?立って?』
『ええ・・大丈夫よ・・今から病棟に移るのよ、いつ帰ったの?よく覚えてないわ』
『え~と、12時半ぐらいです。』
『あっそう・・・あの後、ちょっと大変だったのよ』
『えっ・・そうなんですか・・・でも、今は顔色も良いしホッとしました。』
そうして、病棟に移る準備を手伝い、カルテを見せてもらうと、あの後オペ室で意識を失い、救急蘇生、そして緊急輸血を2L行っていた。血圧も65・35まで下がり、出血量も1500mlと書いてあるのでかなり危険な状態であったに違いない。

病棟でアナに出会ったので、どうしてこんなになったのか、会陰裂傷は私の責任なのか聞いてみた。そうすると、
『全くあなたのせいではないのよ。心配しなくても良いわ。彼女の子宮がかなり下向きに向いて肛門に近かったのは知ってたわよね。それに開大するまえから出血も見られてたでしょっ。それもあるわ。それに・・・・』と、いろいろと説明をしてくれて、ようやく胸のつかいが取れた。

いろいろ慌しかったがいろんな勉強をさせてもらった病院実習初日だった。
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# by babyinuk | 2004-03-30 13:29 | 助産